5月21日(土)須賀先生ならきっと言う「今こそ踊りなさい」

5月21日(土)

私がスガジャズダンススタジオに入社したのは、1990年ごろです。当時27歳。
インストラクタとしては、遅い入社です。

この先どうしようかという時、須賀先生が、「うちにこんかね」と声をかけてくれたのです。
「先生は、営業を担当してほしい」との事でしたので、インストは遅すぎるけど、営業なら
以前の職場でやっていたしと、思い切ってスガジャズダンススタジオに入社しました。

入ってみると、営業だけな訳がないですよね。あれよあれよといううちに、よさこいを踊り指導し、
エアロビクスやらジャズやら教えさせて頂くようになりました。
前のブログで書いたように、それから1年くらいたったとき、須賀先生が馬路村で神秘体験を
経験します。

1991 年 前夜祭がはじまる。長谷川岳氏がこの踊りを見て感動する。
     この年より、セントラルは前夜祭の1回目から5年連続1位となる。
     「須賀よさこい連」誕生
1992年 北海道よさこいソーランスタート
1995年 ホノルルフェスティバルに須賀よさこい蓮として参加

須賀先生は、神秘体験の後、ハワイマウイ島とのご縁ができました。
そして、マウイに住所をもち1995年ごろは、マウイと高知を行ったりきたりする生活を
送っていました。
須賀先生は、自分の使命を意識し、自分の魂を成長させるために、マウイは大いなる気づきを先生に
シャワーのように注いでいルようでした。

マウイには、チャネリングしてスガ先生にメッセージを下ろすチャネラーがいっぱいいました。
あまりの速さで進化する須賀先生を理解するのに必死で、とにかく私も先生と一緒にマウイに
飛んで、先生の考えを理解したいと必死でした。
そして、先生と一緒にヒーラーの先生のワークショップやリーディングを受けました。
そこで先生と一緒に聞いたメッセージは次の通りです。

もうすぐ息子さんがあなたの後を継ぐでしょう。
もうすぐ日本中に、よさこいを伝えるようになります。
日本の各地に、スガジャズダンススタジオができます。
よさこいを通して、精神性を高める活動をするでしょう。

このメッセージは全てその後その通りになっていきました。

思った通りに現実がなるとするなら、先生が強くそう思ったからそうなったのでしょうか。
しかし、それだけとも思えません。
須賀先生の神秘体験から、まるで水先案内のように、いろんな人が「こうなるよ」と
メッセージを下ろしてくれているように感じます。

須賀先生は、よさこいをただの祭りから、「いい世さ来い」と読んで精神性の柱を立てたと
思います。その形が今の「IZANAI」へと進化して行ったのだと感じています。
私が、スガジャズダンススタジオに在籍したのは、1996年の10月くらいまでだったと思いますので、
須賀先生のその後の急激な進化は、遠くから見ながらすごい!と感動していました。

須賀先生なら、きっと言うと思います。

「さあ、今こそ 踊るのよ 良い世さ こい!」
「みんなのおかげさま ありがとう〜〜〜」


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

合掌✴️田村千賀



5月20日(金)よさこいを変えた須賀先生

5月20日(金)

須賀先生は、白い髭のおじいさんに会う以前も、よさこい祭りにカンフル剤を打つような
大きな役割を果たしていました。時代を作った立役者の一人です。

真っ黒の衣装で踊ったグローイングカンパニーは、ほとんどの衣装が半被の時代に、
全身真っ黒の衣装で、センセーションを巻き起こしたそうです。
踊り子は昭和の不良と呼ばれる若者たち。最初は、座り込んでタバコを蒸していた踊り子たちも、
最後にはイキイキと踊って最後には感動の涙を流したそうです。
須賀先生はその当時を振り返り「よさこいは人を変える力がある」と話していました。
この時の先生のお話がとても印象的で、今でもよく覚えています。

その後も、フラフの生地で作ったパンツが印象的な「いろはにほへと」
     先頭で羽をつけたレオタードで踊ったり(1985年)
     青紫のハッピにピンクのタイツ(1990年)の「オッペン化粧品」
     毎年15チーム以上の振り付けをしていました。

須賀先生の担当するチームはどのチームも話題性に富んでいます。

1985年のオッペン化粧品では、地方の運転席の屋根に立って、レオタード姿で踊っていました。
所々に鳴子をくわえた振り付けや、鳴子にスカーフをつけてヒラヒラ振って踊る。
1985年のいろはにほへとの先頭にはヌンチャクを持った男性の一団が。

法被の衣装がほとんどの中に、明かに異彩を放っていました。
奇想天外なアイデアに、人々はビックリ、ドキドキ、
よさこいのスタイルが大きく変化するきっかけを作ったんですね。

この続きは、21日のブログで。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

合掌✴️田村千賀



5月19日(木)須賀先生の言葉『無気力 無感動 無責任を正せ」

5月19日(木)

今日から、須賀先生のことを連載で書いていきたいと思います。
お付き合いくださいませ。

コロナウィルスが蔓延して以来、よく「須賀先生ならどうするかな」
と考えることがあります。

須賀先生が、短い一生を駆け抜けて天に召されてから早11年めです。
先生との思い出は、今でも色あせることなく心に残っています。

いつも笑顔の人でした。時々は夜叉のような表情で怒られることもありましたが、
それを忘れてしまうほどの太陽のような暖かい笑顔でした。
今思い出すのは、満面の笑顔ばかりです。

一番の思い出は、やはり馬路村魚梁瀬の民宿満木荘で一緒に泊まった時のことです。
満木荘は、早明浦ダムの湖畔を望む静かで、おかみさんの心遣いがあったかい民宿です。

須賀先生と馬路村にジャズダンスを教えに行ったのは、今から32年ほど前です。
私は、先生のアシスタントとして同行しました。
楽しく会食をした後就寝。少しお酒もいただき、私はぐっすり眠りました。
そして朝起きると、須賀先生が「夕べ、枕元に白い髭のおじいさんが現れて、
世の中の無気力 無感動 無責任を正せ と言って消えた。」とボソっと言いました。

その時は、「そうなんですね。なんか意味ありそうな夢ですね」みたいに答えたと思います。
深く気にも留めてなかったのですが、その後何年かしてから、雑誌「スコラ」に須賀先生が特集
されていて、その記事の中にこの件が出てきたのです。

あの夜、須賀先生は、神秘体験をしたんだ。
その隣で、私はガーガーといびきをかいていたのだなと思うと恥ずかしいような、残念なような
何とも不思議な感覚になりまた。

私もその後、満木荘に止まることがありましたので、神秘体験してみたいと
寝る前にリクエストしますが、いまだにリクエストに応えてはもらえません。

人にはそれぞれ役割があるそうなので、私は違う出会い方なんですね。と心で答えていました。
その日以来、須賀先生の「無気力 無感動 無責任を正せ」の道のりが始まったのだと思います。

続きは、明日のブログで。

合掌✴️田村千賀



5月18日 「よさこい特別演舞に寄せる思い」

5月18日(水)「よさこい特別演舞に寄せる思い」

何が何でも今年はよさこいをやらなやきゃと強く思います。

このまま今年もなかったら、よさこいがない高知でいろんな事が整っていくような気がして寂しいです。
もちろん、よさこいなくてもいいんじゃないって考えの方もいらっっしゃるとは思いますが、
やはり、私はよさこい祭りは、元気の源、いえ細胞の中に浸透しているなあと感じます。
踊ってなくても、この祭りがないのは嫌です。(^0^)/

よさこいを通して、知らない方と一緒に何かを作るって、すごく刺激になっていたのだと今あらためて思うのです。
そんな体験がなくなると子供達、大人、年齢を超えたつながりが薄くなっていくような気がします。

とにかく今年やらないと、よさこいの未来はない!と大げさに考えてしまうのです。

ですから、よさこい特別演舞に向けて、「祭三代・IKU!」も準備を進めています。
しかし現実はなかなか厳しい。いつものようには、なかなか踊り子さんが集まりません。
(それは仕方ないです。まだまだ安心と言えない。一度失った安心を取り戻すのは時間がかかりますね。)

また、地方がないと出場できません。特別演舞だったら、地方車なくても出場できるように
してもらえたら、もっと気軽に参加でいるのですが、なかなか厳しいです。
通常地方車は150万〜200万です。その金額は、踊り子の参加費に跳ね返ります。

そこで今年は共同地方での出場が認められました。
私たちは共同地方ということで東京の「ぞっこん町田’98」さんと共同使用する予定です。

今年ばかりは特別演舞だから、競演場のタイムテーブルがあったらチームが動きやすいし、
見にくるお客さまへのある程度の人数制限などもできそうですが、
例年通りの運営です。
どこの会場から回るか、出たとこ勝負です。高知スタイルです。

この際、特別演舞だからできることがあると思うのですが、私たちは遠巻きに祈るばかりです。
高知のよさこい祭りは、たくさんの団体によって運営されていて、それが一つにまとまった
組織委員会的なものはありません。

なかなかいろんな意見がまとまりません。
問い合わせもいくつかの所に問い合わせをしていかなくてはいけない状態です。
この高知方式は、長い歴史の中で、少しずつ家を増築するように、増えてきて今の形となっています。
それは、それぞれの時代を生きた先人の皆さんがこうすれば実現できると
いろんなハードルを乗り越えてできたこの形となっているのです。
それは、いいところもあれば、弊害になっているところもありますが、
それを急激に変えるのは、なかなか難しいことです。

参加する人、この祭に関わる人、それぞれがより良い「よさこい祭り」を目指して
知恵を出しあう場所があればいいなと思います。

しかし、いざとなったら、めんどくさいことには首をつっこみたくない。
私が出て行っても何の解決にもならない。
何とかしたいと思ってもやりようがない。
出てくるのは、諦めや言い訳めいたセリフばかりです。

自分自身も紛れもなく、その一人です。情けない。とても非力です。
思い切った一歩が出ません。手を上げる一歩が出ないのです。
それに私が手を揚げたことで、かき混ぜる結果になることが一番よくないことです。
昔は後先考えずに突っ走ったのに。これが年を重ねたということでしょうか。

何か突破口はないか。事務所でそんなことをツラツラと考えていると、スタジオから
鳴子の音と笑い声が聞こえてきました。

そうだ!まずは踊ろう。
踊れば、何か見えてくる。
今頭で考えていることも踊ったら意外と簡単に解決することもあるかもしれない。

鳴子の音がそんな風に聞こえてきました。
やっぱり鳴子の音ってすごい。
不思議な力があると思います。

みなさん、よさこい特別演舞をどうぞ応援してください。

合掌✴️田村千賀



5月17日 ボ〜とする

毎日、あれやこれやとせわしなく動く。

脳は、途切れることなく考え続けている。

少しは休んだらと声をかける隙に、また色々考えている。

ちょっとボ〜っとしてみよう。

ボ〜っと。。。

あれ、1、2秒経つと、早くも脳は何か考えている。

これはいかん。脳が勝手にトップギアに入って暴走してる。

よし、瞑想してみよう。

まずは、呼吸に集中して…。

吸う息と吐く息、静かにゆっくりと…。

あれ?やっぱりすぐに脳は考えている。

も〜〜〜、どうやったら脳はお休みするんだろう。

そもそも、脳はお休みするのかな。

ボ〜〜〜とするのって意外と難しくない??ですか?

それでもボ〜っとしようと頑張ってみると

今度はボ〜っとしたら、なんもわからんなってしまわないかと不安になる。

私は、かなりの重症?なんじゃない???。(なんの重症かわかりませんが  (汗)

みなさん、どう思いますか?

ボ〜とするのって、意外とできないぞ〜〜。

専門家に聞いてみたいです。

ボ〜としたらこんな文章になりました。

みなさま、よかったら、今日は、感想いただけると嬉しいです。

合掌✴️田村千賀