「夢源風人」という名前

2013年のご縁をいただいた大阪のよさこいチーム。
今年で、10回目の振り付けを作りました。

振り付けを作る前からこのチーム名を高知本祭で見た時、
チーム名が妙に気になったのを覚えています。

夢の源 風の人…。

夢の源ってなんだろう。夢が湧き出るところ。
夢のsource。夢の元…。

夢って源ってどこ?何?夢はどっからくるの?

実は、出会う前からす〜っと思い出すたびに考えていました。

はい、答えは全くわかりません。それぞれが出す答えがきっとあるような…。
正解ははっきりわからんけど、生まれてくるものが正解のような…。
そんな事だと思います。

私なりに考えた答えは、

夢の源は、私たちの心の源から湧いてくる想いじゃないか?
心を魂と捉えると、魂が永遠と持っている想いの元。
宇宙のsource。
それは??? 「愛」??? なのか???

「愛」と言えば思い出すのは、須賀先生。
そして「そこに愛はあるんか」と大地真央さんが叫ぶCM。

私の師匠である「國友須賀」先生は、まさしく「愛の人」でした。
人も地球も宇宙も全てを愛した人でした。
肉体がなくなっても、そこらじゅうに須賀先生の「愛」を感じられる。
須賀先生は、永遠に生きていると教えてくれる。
人は、肉体を失っても魂は死なないで生き続けると教えてくれます。

「愛だ」「ありがとう」と地方車から叫んでいた須賀先生の想いが
すこ〜しだけ、心に染みるようになったと感じる昨今です(まだまだですが…)

効率化や合理主義を第一に考える思考が蔓延しているようにも感じる現代、
「そこに愛はあるんか!」と叫びたくなることもしばしば。

「愛」ってなんだ?
身近なところから、哲学的な観点から、浅はかな知識を駆使して一生懸命
考え、心にも聞いてみた。


「愛」は、宇宙を貫いて一本軸となるものだと感じています。

その「愛」こそが、夢の源なんじゃない?と実感しています。

夢の源 =「愛」と考えてみる。

一方、「風人」
風人だけをググるとその意味は、風流を好む人と出ますが
「かじぴとぅ」と読むと、自然と共に生きる人、思いやりの心を持つ人
と出てくる。
「かじぴとぅ」は西表島方言の発音。自然とつながって、本来の人の生き方を取り戻す言霊。

と出てきます。

「愛」「自然とつながり、本来の人の生き方を取り戻す」

うあわ〜、すごいチーム名だ!!

命名した方はどんな想いでつけたのかな。
改めて聞いたこともないので、今度聞いてみよう。

チームのみんなは、そこまで深いこと考えてよさこい踊ってるわけでは
きっとない(考えていたらごめんなさい)と思います。
純粋に楽しいからだと思います、(そうだよね、夢源の皆さん)

それはさておき、
名前は、それぞれエネルギーを持っていますね。

こうして名前を読んでみると「夢源風人」って奥深いな。
そう考えてみると、今年の演舞には、なんとなくそんなエネルギーを
感じることができます。
そう思ってみている私の脳や心のなせる仕業か?

言葉にはならないのですが、なんとなく心があったかくなる。
踊ってるみんなの表情や、よさこいを楽しんでる感じや、
みんなと一緒にいることの充実感を感じる。

いろんな「愛」が たくさんの「愛」がほんわかとそこにあるのです。

夢源だけでなく、私が振り付けのご縁を頂くチームは、どのチームも
心があったかくなる。
みんなそれぞれのチームで切磋琢磨して、成長していく姿は本当に感動です。
感動して幸せ実感して感謝となる。

そんなよさこい、いろんなチームとこれからも一日でも長く続けていけたら
幸せです。

皆さん、自分のチーム名、もう一度深く考察してみてはどうでしょう。

そこに何か大切なものが隠れているような気がします。
疲れたり、凹んだり、いろんなことはあるけれど、こうやってみんなと
一緒に踊っていられることの幸せと感謝と感動が、きっとあると思うのです。

名前ってすごいね。

今日も読んでくれてありがとう。

千賀




リトル感謝祭 〜みなさまのおかげさま〜

28,29日の翌日の30日リトル30年の節目に感謝祭を開催しました。

目的は、何より、30年分のありがとうを伝えたい。
そして、代表のバトンタッチ。
そして、公演お疲れ様 
の盛りだくさん。

公演翌日なんて、本当に無謀です。
でもこの日でないと卒業生は東京へ行ってしまう。
どうしても年度内にやるしかない。

みなさんに無理をかけてしまいましたが、
みんなが一番集まりやすい日はもうここしかないと強行突破でした。

本当に無理をかけてすいません。そして、ご協力ありがとうございました。

公演も感動でしたが、感謝祭もさらに大感動。

本当はご案内したい方がたくさんいましたが、
リトルっ子を主役にと私の呼びたいたくさんの方には、
心で手を合わせながらの開催となりました。

応援してくださったライオンズの皆様、支えてくれた友人、スタっフ、
OB OGとその保護者、そして現役のリトルっ子と保護者の皆さん、

みんなの笑顔を見ているだけで、ありがたくてありがたくて、言葉が出てきません。

皆さんと出会えて一緒に過ごした30年を振り返る時間は、
心がタイムマシンに乗ったようにいろんなシーンを瞬間移動して、
懐かしくて嬉しくて胸がいっぱいです。

リトルを卒業しても帰ってきてくれたみんな、
帰って来れなくても、それぞれのところからメッセージを送ってくれたみんな。

みんなで何かを作り上げる。多様化の社会、みんなで一つを体験するシーンは
私たちが子どもの頃より少なくなっているように思います。

リトルは、変わらずみんなで一つのことをやり続けてきました。
子供の成長を目的につっぱしってきた30年でしたが、
実は私たち大人も成長する場となっているのだと改めて実感します。

アウトプットは最高のインプット。
教えてるつもりが、教えられてる。
リトルはそんな場所になっていました。

幸せにはコツがある。そのコツをミュージカルだったら伝えられる。
そう思ってミュージカルをやってきました。それは間違いじゃなかった。
自分の信じた道を一生懸命歩いたら、初めて生かされることを実感できた
と感じています。

60年かかってやっとです。(苦笑)
全ては、自分自身を誤魔化さず、素直に、一生懸命に生きることなんだと。

「お天道様はみゆうきね」おばあちゃんに言われた言葉です。
「おばあちゃん、本当にそうやったお天道様はちゃんと見てくれよった」

この感謝祭、本当は、もっとプログラムいっぱいありました。
特にOBとOBのダンスやパフォーマンス。

私が乗っけから喋りすぎたために、時間オーバー。
台本を作ったOBたちが急遽自分達の出番をカット。
本当に最後までごめんなさい。

何があっても、全体をよく見てしっかり仕上げてくれたOBOG達。
その成長ぶりにまたまた感動。
みんながそれぞれの場所で、素敵に活躍してくれていることが私の誇りです。
リトルの5つの合言葉を今も自然とつぶやくみんなが愛おしい。

素晴らしい感謝祭になりました。
私は全く手が回らず、全ての段取りをやってくれたスーパーレディの保護者の皆さん。
いつもそばにいてくれる親友。
みんなのおかげでできました。

すが先生の残してくれた言葉が全身全霊に染み渡ります。

「ありがとう ありがとう
 すべてが みんなの
 おかげさま」


皆様、本当にありがとうございました✖️永遠に。

田村千賀





4/3 (月) 「らんまん」

今日、NHKの朝ドラ「らんまん」がスタートしました。

「牧野さんを朝ドラに!」母校土佐女子の先輩松田雅子さんからこの話を聞いたのは、コロナが始まる前だったと記憶しています。

松田さんは、「何かを持ってる人」で、社会を動かす力があると日頃から尊敬する先輩です。作家であり、ライターであり、文旦の精(「文旦好きがこうじて」の作者で文旦むきむきでテレビにも取り上げられる有名人)であり、美術家であり、美術の先生でもあり、
とにかくすごい才能とお役目を持った方で、牧野さんと同じ佐川のご出身です。

「牧野さんをNHKの朝ドラに」
素敵なお話やけど、また大きな夢やなぁ、さすが先輩!と当時の私は、そう思った事を思い出します。
でも、松田先輩のことやから実現するかも…。と漠然と感じていました。

私も何かできることを!ということで、リトルのミュージカル「マキノ」を制作しました。
牧野さんを一番理解するには、そうミュージカルにすること。
子どもたちだけしかいない劇団ですから、どうやって牧野さんを描くのか、演出の濱田さんはきっと悩んだと思います。悩みを抱えた現代の高校生と牧野さんのとの出会い。もちろんファンタジーの世界でです。リトルっ子たちは、牧野さんの命名した植物になって歌い踊ります。

名も無い植物を見つけて名前をつけていった牧野博士。誰にも気づかれない存在に光を当てる。それは、まるで子どもを産んで名前をつける事と私の中で、重なり合っていきました。このマキノのミュージカルから名曲が生まれました。
「名前」
この1曲を歯全身に染み渡り、自然と涙がでます。
私たちは、生まれたら名前を頂き、「千賀」と何度もいろんな人に呼んでもらって成長してきました。なんという幸せな事でしょう。

この地球には、まだまだ誰にも知られないでそっとその命を生きている植物や生き物がある事でしょう。植物を愛し、発見し、名前をつけて世に出す。
それを一生やり抜いた牧野博士。朝ドラでどんなふうに描かれていくかが楽しみです。

私たちだけでなく、松田さんの呼びかけに賛同した方はたくさん。
「牧野さんを朝ドラにする会」も発足して、どんどん広がり、ついにドラマ化が決定。
そして、今日から放送開始です。

8時に流れたのは、高知の自然でした。陽光に照らされる緑。生命力あふれる緑、緑、緑。
これが高知や!と感動しました。私の一番好きなKOCHIGREENが全国に届きました。

松田先輩!すごいです。

牧野植物園で活躍する小松加枝さん、ご苦労様です、そしておめでとうございます。

びっくりするほど忙しい日々をお過ごしと思います。
ドラマが演劇が、エンターテイメントが、町を豊かにする。
すごいです。

やっばいです。今年は春からやばい!新しいものにいっぱい出会う予感で
私の心は「春らんまん」です。

牧野さんの朝ドラが誕生するまでの4年間のドキュメンタリーです。ぜひ見てください。
https://youtu.be/RMG9Fm2fB7I



ファイルイメージ

ミュージカルマキノ 「なまえ」



「感動」

丁度1年前の昨日、これまでのことを少しずつブログに書こう!と始めたものの、またしても続かない私。

11月に再開したものの3日坊主にもならず…。

またそうなるかもですが、ブログを再開したいと思います。
またまた(笑)できんことをするよ。と苦笑いしながら、お付き合い頂けたら幸いです。

今日のテーマは「感動」です。


皆さんは、これまでの人生でたくさんの「感動」を味わっていらっしゃると思います。
私も、数えられない程の感動の日々を過ごすしています。
それは、もちろんリトルや、よさこいのお陰です。

私が一番感動するのは、「成長」をみた時です。
大人でも子供でも。

特に仕事がら成長を見ることができるのでもう一年中、感動だらけです。

この感動のリトル生活も気づいたら30年を迎えました。

そして自分は今年11月に60歳になります。
前より集中力が弱くなった、跳べなくなった、なにもない所で転んでしまう、
鍵を探す回数が増えてた…。
自分の気持ちとは裏腹に「老化」を実感しています。

リトルによさこいに、大人のジャズダンスに、表現教育関係、
後先考えずに、広げてきた仕事を全てやっていくには、
厳しい自分の現実と直面!

これはいけない!できることとできないことを見極めて、
できないことは誰かに渡していかないと。いろんな人に迷惑かける。
また、後世が育っていかないと。育てる義務がある。
美味しいところばかりやっていてはいけない、次世代へ繋ごう。

そう決心して、リトルの代表を小西里佳へバトンタッチすることに決めました。

そして、この3月28、29日に第20回公演「Dreaming Musical]」を上演し、
30日には、打ち上げを兼ねた「感謝祭」を開くことを決めて、
怒涛の2月3月を過ごしました。

久しぶりに忙しかった。脳はなんかもフリーズを起こし、
心も平静をキープできない。
いろんな人に助けてもらっているのに、私の所で仕事がたまって迷惑をかける。
いい歳して不甲斐ない自分を持て余しながら、寝る間を削っても終わらない仕事。

まるで落ち葉が流れを堰き止めた川みたいになって、落ち葉の向こうは激流になっちゃうし、本当に皆さん、申し訳ございません。

そして、上がった幕。

それは筆舌に尽くし難い素晴らしい舞台でした。

舞台の隅々まで行き届いたエネルギーは、舞台全体から溢れ出し、劇場を大きく包み込んでいました。

天使のような子供たちの歌声は、大谷選手のストレートより私の心に飛び込んできて、
ひっとり涙が出て止まりません。
力強く生きる力を教えてくれるその声と存在は、わたしたち大人に確実に生きる力をくれます。
舞台を動かす構成の素晴らしさ、セリフに教えられ、感動し何度も頷きました。
振り付けの先生たちの溢れる才能と愛。
温もりのある舞台装置に子供たちもお客様も一気に夢の世界に飛び込んでる。
小さな声も、聞こえないセリフもきちんと届けてくれる音響。
演者の心の機微をしっかり映し出す照明。親御さんもみたことのない子どもたちの姿を遺憾無く照らし出してくれます。
その全体を、一手に運んでくれる扇の要の演出濱田さんと出口監督。

そして、そこに30周年で集ってくれた17名のOBOG。

平日開催にも関わらず、長期の休みをとって大集合。
ちづるが演出 振り付けを琴音 歌をサラと悠沙、そして踊るOG OB。
5年ぶりの舞台、どうしよ〜緊張する。と出番前に幸せそうなOBたち。
リトルの生活をコミカルな歌詞に仕上げ、構成したパワー溢れる作品。

この作品を見たのは公演2日前。それから火がついたのか、みんなイキイキとなにか表現しようという思いにスイッチが入った。
どうしたらいいのと迷ってた子たちに、「楽しむがよ」と背中を見せたOBOGのパワーはすごかった。

OB OGと現役が一歩もひかず、一つの舞台を作り上げた。
30年の集大成がそこにありました。

お客様の満足そうな笑顔を見送れたことが、さらに感動。
もう、全身熱くて倒れそうでした。

怒涛の公演の翌日は、感謝祭です。

こちらまったくなにもできない私に変わって、OBOG現役の保護者の皆さんと
OBのあきほ、ちづる、サラが全てやってくれました。

名簿の整理からご案内状の作成、返信の管理、会場との調整、プログラム構成、
動画作成と編集(大阪の大雅と佳奈美まで)。司会進行、会全体の進行。引き出物まで。
全て。

本当に支えられました。

みんなで作った感謝祭で、代表のバトンを渡すことができ、最後には
まさかのリトルっ子から赤いチャンチャンコを着せてもらい、
みんなに笑ってもらって幸せです。

こんな感動は、さすがに生まれて初めてです。

感動は感謝へとつながっていきます。

この感動と感謝を胸に、残りの人生を生きていけるなんて、
私は、すごい幸せものです。

幸せになるコツは、ミュージカルにありました。

30年前に、ミュージカル活動は、幸せのコツを掴むことができる。
ミュージカルを通して、子どもたちを幸せにしたいと思って始めたリトル。

間違ってなかった。ミュージカルは幸せへの切符です。

この切符をこれからも一人でも多くの人に手にしてもらえるように
これからも精進していきたいと思います。

「感動」体験は、人生の醍醐味と生きる源です。

この「ご縁」から始まる次の未来の感動を、またブログに書きますね。


〜ps〜
これが「縁起」なんだ。とわかりました。

✴️長文にお付き合いくださりありがとうございます。





ブログ 再開 11.20(月)よさこい8 ① はじまり

よさこい8がスタートしてのは、2020年の5月1日。
世の中はコロナウィルスに翻弄されて、約半年くらいだった。

いろんなものが、どんどん中止になっていく。
学校も一斉にお休み。なのに幼稚園保育園はやってる。

な〜ぜ〜
サッカー、バレーボール、コンサート、イベント…。
なんでもかんでも続々中止、
そして、春の甲子園も中止〜。

えらい人は言う「不要不急の外出は控えて!!」

不要不急って??  どの基準〜??

頭に浮かぶ???も、社会の波に押し流され、
とりあえず命を守ために、大多数の人に合わせてながれていく。

なのに、守りきれない命。

な〜ぜ〜???

反対意見はたたきのめされ、
な〜ぜ〜の言葉さえ、どっかに押し込まれた。

誰も、はっきりした事は、わからないまま確実に時間だけがいつもと同じペースで流れていった。

これは、よさこいもなくなるやもしれん。
そんな心配がちらほらしていた4月の中旬。

そんな時、電話がなった。
もしもしと取ると、某大学教授から。
ものすごく久しぶりの電話にびっくり。

「先生、こんにちは。ひゃー、懐かしい。
今日は、どうされましたか?」

「田村さん、急な電話でびっくりしたろう。
去年の4月30日から5月1日は、元号が平成から令和になったでしょう。
43051とかいて真ん中のOをとれば「よさこい」
平成令和とかいて、令に成るをとって残るのは、「平和」
こんな時期だから、4月30日か5月1日に世の中が、平和になるようなよさこいイベントをやったらどうでしょう。」

「先生、いいですね。やりましょう。」

私は、だいぶ興奮気味に電話を切った。

そう、今やらないかん。全てが中止になっていく中でも何かできることをしていきたい。

コロナさえも理由にしたくない。
コロナに負けたくない。
そんな気持ちが火山のように噴火してきて鼻息が荒くなった。

絶望感への挑戦だったのか。何かして不安を拭いたかったのか。
私の心の中にあるメサイアコンプレックスが疼いたか。

何かわからなかったけど、とにかくやらなきゃ!そんな気持ちに掻き立てられた。

その頃、たまたま、よさこい振り付け師たちにのぶ先生から集合がかかった。
こんな時にみんなを元気にしよう!
みんなで集って飲むのをYOUTUBE配信しようというもの。
少しでも元気だそう〜ってメッセージを送りたい、ノブ先生の純粋な心に、
時久紀恵先生、工藤理恵先生、樋口美加先生、小倉卓浩先生、國友裕一郎先生、私田村千賀が集まった。
この7名の振り付け師たちは、年齢も近い。それまではそれぞれの振り付けに没頭するばかりで、
さして深い交流もない関係。しかし、この7名で、よさこい祭り入賞チームのほぼ8割を占める。
世間の皆様は、それぞれ反目しあい、仲が悪いと噂されることもあった。

実際は、ただ交流する機会がなかっただけ。

そして、時を同じくして、国際絆チームの田中恵美子さんが精力的に活動していた。
恵美子さんは、日本人だが、カナダ在住。日本語の先生をしながら、世界の踊り子を集めてチームを組み高知に踊りにくるすごい行動力の持ち主である。

2020年も、と準備を進めてきたが、パンデミックの荒波をモロに受けていた。
しかし、もともと踊りの練習は、ズームを使ってオンラインでやっていたこともあって、世の中がズームって何?っていう時代に、サクサクとズームを使いこなし、100人で成長よさこいを踊る企画をしていた。

そこに、ゲストとして呼ばれた田村千賀は、世界のあちこちからパソコンの画面に集まった100名以上の人が、鳴子を一緒に鳴らして正調よさこいを踊る絵に、鳥肌がたった。

新しい時代がきた〜〜〜〜!

まるで明治維新のような感覚。(明治維新は知らないけど…苦笑)

衝撃的な体験をしたのが、3月。
のぶ先生がYOUTUBE飲み会を企画したのが3月末。

しかしコロナの感染拡大で、飲み会はキャンセルされ、ノブの企画は泡と消えてしまった。

そして、宙ぶらりんになったよさこい7に、時久先生が、RKCでよさこいテレビ体操をやろうと企画。
7人でそれぞれよさこいをもじった各意インストラクターの個性が爆発した体操が放送された。

いろんな活動は、今思えば全てよさこい8へと続いていったように思う。

まるで何かに導かれるように。

そして、振付師7名と恵美子さんに声をかけた。
恵美子さんなら、世界へこの活動をつなげてくれる。そう直感した。

4月の半ば、よさこい8はスタートした。

〜今日も読んでくださり、ありがとう。田村千賀〜