4月19日(火)「間」について

4月19日(火)
おはようございます。今日も、いい日をお迎えのことと思います。

今日は「間」(ま)について書きます。
よかったら読んでください。

私は、振り付けの時に「間」を大切にしています。
「間」は呼吸感でしょうか。
動きから作られる「間合い」があります。踊っている人も見ている人も、その「間合い」に乗っかたり、外されたりしているうちに、踊りにハマったり、その踊りから目が離せなくなるからです。

「間合い」を作って遊ぶと、面白いものが生まれてきます。
もちろん振り付けは、まず音があるので、振り付ける前には、音の「間」を読みます。
音の間には、作曲者の心の動きや、メッセージを感じることができ、「ほ〜、そうきたか」
「ふむふむ、なるほど」とか、心は楽しく動きます。
その作曲者と自分との間合い、自分の中での間合い、自分と踊り手との間合い、自分と見る人との間合い
いろんな相手との間合いが幾重にも重なり、混ざり合い、振り付けが仕上がっていきます。

振り付けだけでなく「間合い」はコミュニケーションで欠かせないことですね。
生まれたばかりの赤ちゃんとも全く意識してないけど、この「間合い」でお話ししていますよね。
「いないいない、ば〜〜〜〜〜」動きや言葉には、ちゃんと「間合い」があります。
「ぱっぱ」とか「ぶ〜〜ん」とかオノマトペを使えば、面白い「間」を表現できるし、
その「間」を、いろいろ展開させて遊ぶのはとても面白いですね。

人は、生まれた時から自然と「間合い」の中で生きているのだと思います。
「間(ま)」「あいだ」。この「あいだ」…。
人と人の「あいだ」。物と物との「あいだ」
隣と隣の「あいだ」子供と大人の「あいだ」…。あげればキリがありません。

あらら…!!「あいだ」はとても大切ですね。ちょうどの「あいだ」があれば心地よくて、
この「あいだ」がうまくないときは不快感ですね。

なんだかこう考えてくると「あいだ」って深い。
「あいだ」がよくないとぶつかったり、せったり、届かなかったり、遠かったり、近すぎて見えなかったり、
人間関係も「あいだ」がとても大切ですね。

こうして「あいだ」「あいだ」と書いていると?!

「あいだ」→「愛だ」

あれれ?日本語って、ときどき大切なメッセージを隠しているのではないかと思うことがありますが、
これもその一つ???でしょうか????

「間」に「愛だ〜〜」があれば、いろんな「あいだ」は、絶妙に素晴らしい「間」になるんじゃないかな。

書きながら今そうひらめきました。

みなさん、どう思いますか?

「間合い」=「間」に「愛」を入れた人間関係を作れたら、素敵ですね。

「間(ま)」は、リズムでもあります。この「間」を織り込んでいるダンス。
ダンスを踊れば、言葉を超えたコミュニケーションができる。
ダンスの「間」にはいろんなものが詰まっています。
この間を繊細に感じ、表現できるようになると素晴らしいダンサーです。
心と心が共鳴する快感。だから「踊り」っていいんですね。

こう捉えると「歌」も「踊り」もそして文化なんでもこの「間」が存在するものを幼少期から経験することは
すごい財産になりますね。

「間」(ま、あいだ、…)あなどれません。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

合掌✴️千賀







4月18日(月)隣のおじちゃん

4月18日(月)

おはようございます。今日は「隣のおじちゃん」について書きます。
(少し長いので、お時間あるときに読んでください)

私は、隣のおじちゃんに育ててもらいました。
私は、幼少期を「いの」で暮らしました。
いの町の実家の隣には、おじちゃんとおばちゃんと娘さんが住んでいました。
おじちゃん達は、私をとても可愛がってくれました。
小さい時、隣のお家に上がり込んで、いろんなものを頂いた記憶があります。
ジュースにアイスクリーム、いちご、お芋などなど。

自分の家と違うことも興味深々でした。
まな板を天日干ししているのが不思議で、
「どうしてこんなところにまな板おいちゅうが?」と聞くと
「お日様が、悪い菌をやっつけてくれるがよ」と。
お日様はピカピカ光るだけでなく、そんなこともできるのか!と小さい私はびっくり。
小さな私は、めちゃくちゃ隣が大好きでした。

隣のおじちゃんは、とても褒め上手でした。

おじちゃんは、いつも家の周りを掃除して、草をひいていました。
私はおじちゃんに、「おはよう」と声をかけました。
するとおじちゃんは「おはよう、今日も元気やねえ。ちかちゃんのおはようを聞いたらおじちゃんは元気になるぞね」
と言ってくれました。
それを聞いた私は、とても良い気持ちになって、おじちゃんに会うたびに
「おじちゃん、おはよう」と元気に声をかけました。
そのたびにおじちゃんは嬉しそうな顔をして「おはよう」と返してくれました。

ある時、母が「まあ、いつもすいません、お陰でこの辺が綺麗になります。」と
「おはようございます。」の後にオプショントークをつけたのです。
するとおじちゃんは、「いやいや、わしは草をひいたらすっきりするきねえ〜。よろこんでもらえてよかったわ」
と普段より嬉しそうでした。

「なるほど、おはようの他になんかつけたらおじちゃん喜ぶがや」と小さい私。
その次から、おじちゃんに「おんちゃん、綺麗になりゆうね」と言葉を足しました(なんと上目線…(笑汗)
するとおじちゃんは「ありがとう。そう言うてもろうたら嬉しいね」と返してくれました。
小さい私は、ちょっとお姉さんになった気分です。
そしてある日、おじちゃんは母に「ちかちゃんは、本当に挨拶がようできるね〜。いっつも感心する。
草引きしよってもちゃんと『綺麗になりゆうねえ、ありがとう』というてくれるがは、ちかさんだけぞね」と。
私の心はロケットに乗って空へ飛んでいくほど、嬉しかった。意気揚々でした。

本当は、もっとおじちゃんに気に入ってもらって美味しいものいっぱい欲しかっただけやったのに、
なんか褒められたことで、私はなんとも言えない良い気持ちを味わったのです。
これが「自己肯定感」っていうんでしょうか。

それからさらに気を良くした小さい私は、おはようの後につけるオプションを工夫し始めました。
「おじちゃん、おはよう。今日は天気がいいね」
「おじちゃん、おはよう。今日もきれいになりゆうね。」
(これはおじちゃんが喜んでくれる鉄板言葉なので何日間かおきに必ず言いました)
「おじちゃん、今日は暑いき、無理せられんで」
「おじちゃん、明日は、雨やと、テレビがいいよった」
などなど、

当時4歳です。かなりのオマセさんです。(笑)
このオプションご挨拶は、実は全てお守りのおばちゃんの真似っこです。
(私は、お守りのおばちゃんに預けられていました。
とても優しい方で、いろんな気遣いの言葉を毎日聞いていましたので、
いろいろなオプションネタはいっぱいありました。)

意気揚々と私は、おじちゃんにオプション挨拶バズーカをガンガンに浴びせました。
おじちゃんはちょと辟易したかもしれませんが、優しい方ですから、
そのたびにちゃんと答えてくれて、私はおじちゃんのことがますます大好きになりました。

最初は、美味しいものを頂きたい気持ちでしたが、いつの間にかおじちゃんに褒められたい気持ちになり、
おじちゃんの嬉しそうな笑顔を見たい気持ちへと、挨拶する気持ちも変わっていったのです。

4歳の頃の私は相当お転婆でしたから、隣のおうちの塀によじ登って、塀づたいに隣のお家に行きました。
玄関からは入っていきません。塀を登って降りるのが日課でした。(かなりのワリコトシでした(苦笑)

ある日、おじちゃんちの塀に登る時、足場にしていたブロックを壊してしまいました。
どうしよう!大好きなおじちゃんに、怒られる。そう思った私は、怖くなって黙って家に帰りました。

当然そのままで終わらない。どうしようと自責の念で困りはてて、たまらなくなった私は、
母に「おじちゃんちのブロック壊した」と白状しました。
母はすかさず「悪いことをしたら、あやまらないかん。ちゃんと謝ってきなさい」と私を一人で
おんちゃんのとこへ行かせました。一人で行くのは相当怖かったです。

私は勇気を出して「おんちゃん、塀のブロック壊した。ごめんなさい」と必死で言いました。
おんちゃんは、珍しく厳しかった、「あぶないろう。もう塀に登ったらいかんぞね」
「うん」と言いながら、私の目は涙でいっぱい。自責の念から解放された安心感。
そして、厳しさの中に、私を思ってくれるおじちゃんの気持ちに、なんとも言えない優しさと
ホッとした気持ちと、大切に思われる嬉しさと、いろんな気持ちが混ざった涙がいっぱい出ました。

私はその日以来、塀越しにおじちゃんちに行くのをやめました。
それからも、おじちゃんは優しくて、美味しいものをいっぱいくれるし、膝の上にだっこしてくれるし、
もちろん、オプション付きご挨拶もしっかり続きました。

小さい私を育ててくれたのは、隣のおんちゃんの優しい笑顔です。
もちろん、おんちゃんはお星様になっていますが、今もよく思い出します。

おんちゃん、ありがとう。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

合掌✴️田村千賀



4月17日(日)旅広場

4月17日(日)こんにちは。今日は、旅広場について書きます。

「旅広場」高知駅の前の三志士像の背中のところにあるイベント広場。
オープン当時は、「おもてなし勤王党」や「旅広場専属よさこい隊一無尽」さんとかが、毎週末
パフォーマンスを披露して、たくさんの人で賑わっておりました。
「おもてなし勤王党」は2011年〜2015年まで。「おもてなし海援隊」は2016〜2019年3月まで。合計8年間。
おもてなし隊が旅広場からその姿を消してからは、週末のよさこいや、いろんなイベントが開催されています。
2011年からスタートしたということは、なんと10年経つということですね。
早いな〜〜。

今日は、久しぶりに旅広場に行ってきました。よさこい「祭三代・IKU!」のMCをしてきました。
久しぶりに行った旅広は、以前よりお客様も少なかったのですが、青空のもといろんな人たちが、
集っていました。

小さなお子様を連れたご家族。よさこいとの音楽と一緒に、全身で踊ってくれました。
高知に来た方、そして、高知から帰る方、足早に駅に向かう方、
日向ぼっこする方、誰かと待ち合わせの方、いろんな方がいました。

龍馬さんと、慎太郎さんと、武市半平太さんの三志士像は、じっとそこにたち、
この風景を眺めているのだなあとその背中をしみじみと見ました。

まさかコロナでこんな時代が来るとは、きっと龍馬さん達も思いもよらなかったことでしょう。
龍馬さんたちが生きた時代から、高知の街は、どんなに変わったのでしょう。
街はもちろん大きく変化したと思いますが、人々はどのように変わったのでしょう。
じっと立ってその目は未来を見ているのでしょうか。

空想ではなく、本当に実在した方々です。そして、龍馬さんたちの活躍があったから今がある。
あの時代と今をつないでくれているのは、なんだろう。
そして、私たちがつないでいくものはなんだろう。

おもてなし隊のセリフの中には、「志」という言葉がたくさん出てきました。
そういえば「志」って最近聞いてないような気がします。
昔は、「青年よ大志を抱け」とか「志」という言葉をテレビとかでもよく耳にしていたように思います。
私の思い込みでしょうか。

大きく時代が動いた幕末。今もまた何かしら大きく時代が動いているような気がしてなりません。
混沌とした時代、長いトンネルの先に一筋の光を求めて進んできたようなこの2年半。
まだまだ先の見えない社会。
龍馬さんたちの背中越し見える土佐の青い空は、
いつの時代も今日のように「青い空」だったのでしょうか。

「鳴子」の音を聞きながら、龍馬さんの肩越しに見える空を見上げた午後でした。

暑かったです。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️田村千賀





4月16日(土)元気

4月16日(土)

おはようございます。今日は「元気」について書きます。

「元気」は「元」の「気」
「元」とはどこでしょう。
「元」の意味は?ネット検索によると「物事のもと、根本。はじまり」などなど。

人のはじまり???私のはじまり???
(めちゃくちゃ壮大な話になりますね。今日はそこには触れず)
人のもとの気。はじまりの気。
気=エネルギーとすると、「元気」とは、エネルギーのもと。「もとから出てくるエネルギー」という事ですね。

リトルの愛言葉の一つめは「元気が一番」です。
普通に「元気」というとエネルギーが満ち満ちている状態を指す感覚ですよね。
でも、時々、落ち込んで、元気がなくなってしまうこともあります。
そんな時に「元気が一番」と聞くと、
「今は、無理。元気が出ないよう」と心が動いたり、
「そやそや、いろいろ考えずに、元気だそ」とか
「よ〜し、エネルギー充電するぞ〜」とか
「元気、いっぱーつ!」などなど
その時の気持ちの状態によっては、心は色々反応しますね。

「元気」がどう聞こえてくるかは、私にとっては心のバロメーターでもあります。

自分が思ってたより、自分が疲れてるなって思う時は、自分に嬉しいこと
(美味しいものを食べる。寝る。好きなことする)などしてエネルギー(気)を充電します。

そして何より子供たちが「元気が一番」って叫んでくれたら、あっという間にエネルギーが充電されます。
こどもたちの元気は、私にとっては一番のエネルギーのもとです。
子供たちの元気のもとは、お父さん、お母さん。
それは、リトルっ子を見てたら、本当によくわかります。
「お母さんが喜んでくれるよ」と声をかけると、子供たちは急にやる気を出して頑張ってくれまます。
本当に子供たちは、お父さんお母さんが大好きで、喜ばせたい、笑顔にさせたいって真剣に思っているのを
いつも感じます。お父さん、お母さんも同じですね。
そんなお互いを育んでいる「家族」って素敵です。
もちろん、喧嘩もするし嫌なこともいっぱいあると思いますが、
だからこそ、「愛」が深まる、絆が強くなりますよね。
その渦中にいるときは、そんな風には思えないと思いますが、ちょっと間を置いたり、俯瞰でみたら
そう感じると思います。
父も母も見送った今、一緒にわちゃわちゃ言える時間がどれほど幸せだったか
本当に身に染みます。

「元気が一番」!

今日は、リトルのお稽古日。かわいい元気な子供たちに会えます。(満笑)

今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

合掌✴️田村千賀






4月15日(金) リトルの2年目

4月15日 (金)

今日は「リトルの2年目」について書きますね。

1991年12月 オーディションに合格した50名とともにスタートしたリトル。
毎週水曜と土曜の6時〜8時、市内の公民館や、立脇先生、須賀先生、小西ジャズダンススタジオの教室を
お借りして運営しておりました。

紆余曲折を経て、キラキラした笑顔がステージに弾けたのは、1992年10月。
演目は「月の塔のパセラ」脚本は中村美樹さん 音楽はよさこいの巨匠三谷章一さんと、前田建彦さん、
でした。オレンジホールでの3回公演は、どの回もほぼ満席に見えました。
華々しい旗揚げ公演でしたが、翌年は、運営費(月謝)を3000円から1万円に大幅増額されたことや、
やってみて色々見えたこともあり、劇団員は一気に減少しました。

1年目は勢いよくスタートしますが、2年目は、色々わかってくる分慎重になるのでしょうか。
1年目のパワーなりを潜めて乗り越えるハードルがはっきり見えてきました。
そして3年目からまたパワーアップしていく。
これはよさこいのチームにも当てはまります。
医師の上にも3年ってこういうことなんかなぁって思います。
なのでいつも、始めたことはなんでも3回はやなくちゃと心がけています。

そんなわけでリトルの2年目も1年目にでた問題と向き合う年となりました。
何より、製作費の削減です。
そして、選んだ会場は、ラヴィータでした。
ラヴィータの宮崎社長のご好意で、文化に助成くださる制度に選んでいただき、会場費は無料です。
しかも、仕込みも入れたら1週間貸切。専用の舞台を仕込んで、客席数が少ないので、5回公演しました。
後にも先にも、5回公演はこの時だけ。リトルっこよく頑張りました。

演目は「幸せのバーディ」幸せの青い鳥からヒントした作品です。
リトルの「幸せ」探しです。この頃は、人間の役はおばあさん役くらい(里佳先生当時中3)そのほかは、
ニワトリあら、ハチやら、生き物でした。(2期生入団で今は歌の先生となった真佐美先生はニワトリでした。)
私の大好きな「幸せダンス」もこの作品のナンバーの一つです。
幸せ、幸せ、と連呼する歌はシンプルです。

========歌詞の紹介========
幸せ 幸せ 幸せ、幸せ、ウッシッシっシ し〜あわせ
あ〜私って 幸せ  あ〜僕だって 幸せ
あ〜お父さんも幸せ  あ〜みいちゃんも幸せ
隣の鈴木さんも  学研のおばちゃんも
よっちゃん  みなちゃん
カズ  アルシンド
こうくん まっちゃん 曙 貴乃花
みなちゃん まもるくんも

アフリカゾウ シマウマ
キリン ナマケモノ
ラッコに ペンギン
恐竜 ネッシー
カバ イグアナも

みんな〜みんな〜
幸せ 幸せ 幸せ、幸せ、ウッシッシっシ し〜あわせ
あ〜何回幸せ言ったけ あ〜そろそろ終わっていいかしら
あ〜 あ〜 あ〜 あ〜 とっても幸せ〜だよ。
========================
これを子供たちが歌うとそれだけで「幸せ」になります。

遊び心満載。発想の素敵さ 難しいこと言わないけど、バシっと伝わる
これを聞いた時は、三谷さんの才能に惚れ惚れ〜。今もですがさすが巨匠です。

あの頃ステージに立ったメンバーも今は30代前半〜44歳くらい。
それぞれの「幸せ」は見つかったでしょうか。
この幸せの歌を歌ったら、またあの時とは違って心に染みるかな。

みんな「幸せ」を掴むのコツはミュージカルにあるってお話ししてきたけど、
身につけたコツをしっかり使ってるかな〜〜〜。

こうして、あの頃に思いをはせると私はとても「幸せ」です。

みんなありがとう。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️田村千賀