4月24日(日)体のメンテナンス

4月24日(日)体のメンテナンス

私のミュージカル仲間、刈谷公治(チャーリー)さんは、私の体のメンテナンスをしてくれる凄腕施術師です。

(ここからはチャーリーとよさばせて頂きます)
チャーリーは、公務員を早期退職して、鍼灸の学校で学び、
現在は「yodoya」というマッサージ店を経営しています。

一番、最初にチャーリーの施術を受けたときは、慢性肩こりの時でした。
「肩こりがひどいので、お願いします」とリクエストしたのですが、
チャーリーは、私の頭をグリグリ。
ものすごく痛くて、「ぎゃ〜〜」と叫びました。
肩こりなのに、なんで頭???と思いましたが、
不思議と肩こりが治っていました。

その次に施術を受けたのは、少し時間が経ってからです。
するとその施術方法が、ガラッと変わっていたのです。
頭をグリグリイタ〜イではなく、そっとツボに手を当ててさするように
ツボを刺激してくれます。
少ししたら、ものすごく深い眠りに誘われ、ぐっすり眠ってしまいました。

私は、マッサージは結構強く揉んでもらうのが好きなタイプでしたので、
最初は、あれ??って感じでしたが、終わってみるとあら不思議すっかり
よくなっているではないですか。その上、もみ返しもありません。

「チャーリー、どうやってやりゆうが?すごいね。」と私。
「体の中が固くなってるんですよ。筋膜が巻き込まれていたり。
 それを解してるだけなんです」

話を聞いても全くわかりませんが、とにかく体が楽になってる私は、
定期的にメンテナンスをお願いする様になりました。

体は、正直です。自分ではストレスなんてない!と思っていても、知らず知らずのうちに
体のどこかが固くなっています。チャーリーにツボを押してもらうとそれがよくわかるのです。

いつも「へ〜〜こんなとこに溜まっていたのか〜〜」と、びっくりで、
自分自身を発見することばかり。

「体は、いつもサインを出してくれています」
チャーリーの言葉に、なるほどと納得。

この体は、私の魂をのせたお船みたいなものです。
荒波、風、太陽、に揉まれながら、大海原を航海しています。

ちょっとやりたいことがあって、夜ふかししたり、仲間と暴飲暴食したりすると、
いつの間にかあっちこっち痛んでたりするんですね。
それをほったらかしにして、生きてると、ちゃがまります。
やりたいこといっぱいあるのに、サボりたい私もいる。
どうも私は、楽な方に楽な方に、進んでしまうんですね。

意外と24時間はあっという間だし、1日にできることは、わずかだとわかっているのに、
ついついあれもこれも詰め込んでします。
なんと欲深いことでしょう。一つやれればそれで満足して、そのことに集中して
それを満喫するのがどれだけ幸せかわかってきたのに。
無意識に、私の頭の中は、チョーターボで多忙な状態です。
そろそろ「欲」を捨てんと、何をしゆうかわからんなる。
といつも反省しています。

チャーリーに、メンテナンスをしてもらいながら、反省したり、体の声を聞いたり
するのは、本当に自分と向き合う良い時間です。

チャーリーの施術は、毎回すごい進化しています。
その手は、まるでエコーの様に、体の悪いところを見つけて、微妙なさじ加減で
す〜となおしていきます。(うまく言葉で表現できないくらい不思議です)

もう、魔法の手です。

これはチャーリーの言葉。
「体と心は一つ」「体が出してるサインをキャッチ」
「ストレスで固まった体をほぐせば、心も軽くなる」

チャーリーの一言、一言が身に染みます。

チャーリーと出会って35年近く。一緒にミュージカルをやった時から全く変わらずのお付き合い。
でも時間と共に、進化していくチャーリーを見ながら
ふと自分もちゃんと進化してるかなっと、自分を振りかえってちょっと不安になります(笑)。

みなさんも、よかったら「yodoya」ぜひ、行ってみてください。

体のメンテナンス、大切ですね。

合掌✴️田村千賀



4月23日(土) 「花粉症」について

4月23日(土)

おはようございます。今日は「花粉症」について書きます。

私は、アレルギー性鼻炎「花粉症」です。
中学3年の時、突然鼻水が止まらなくなりました。
それ以来、3月になるとくしゃみと鼻水との付き合いです。
5月の連休明けくらいまで続きます。

その頃は、まだ「花粉症」っていう言葉はなかった、
この病気の始まりの頃からの長〜いお付き合いです。

「花粉症」今はいろんな花粉に反応するなど、その原因も研究されてきましたが、
私は「スギ」花粉のはずです。(色々反応するのでよくわかりません(苦笑))
症状が治っていたのに、この2、3日、急にまた私のお鼻は壊れた水道になってしまいました。
さて、今はなんの花粉でしょう。(苦苦笑)

それはさておき、私は「花粉症」になるといつも、「春」がきたと思います。

私の「春」には、リトルの卒業生を見送る公演があります。
毎年、卒業までリトルを続けてきてくれた団員の卒業を見送りながら
万感の思いに涙が溢れます。
「花粉症」の上に、卒業生を見送る寂しさと嬉しさで、もうず〜〜〜っと泣きっぱなしです(笑)

1年で一番忙しい時期なのに、鼻を噛む、くしゃみをするという時間が忙しさに
拍車をかけます。でも毎年、鼻がむずむずすると同時に、卒業生を送る寂しさ
がじわじわと湧いてきます。

そして、新しい世界に巣立っていくリトルっ子の背中をぐしょぐしょの顔で送って、
新学期に気持ちを新たにするリトルっ子と、また新しい1年をスタートします。

たった2ヶ月くらいの間に、心の時間は、大きく動きます。
そこに、満開の桜が優しく見守る日本の春は、本当に綺麗です。
私の涙を隠せる「花粉症」は、ちょっと厄介ではありますが、
泣きっぱなしの私を優しくカモフラージュしてくれます。

新学期も無事スタートしました。もうすぐ、「花粉症」も終わります。
また、次の「花粉症」がくるまで、一年を慈しんでいきたいと思います。

そう、花粉症には、私の春の思い出が詰まっています。

でもできれば、治ってもらえると嬉しいのですが、なかなか難しそうですから
これからも私の季節の風物詩として、お付き合いしていきたいと思います。

今日も、最後まで読んでくださり、ありがとうざいました。

合掌✴️千賀



4月22日(金)「よさこい」〜県外人が教えてくれる高知の魅力〜

4月22日(金)

県外のよさこい人に教えてもらう「高知よさこいの魅力」について書きます。

「高知よさこい」はコロナで2年間お休みとなりました。
よさこいを支えてくれる「踊り子」さん達は、よさこいに代わる趣味を見つけた方も多いようです。
「よさこい」がないとダメな生活から、「よさこい」がなくても大丈夫な生活を手に入れたのですね。

旅広よさこいの担当の方も、チームの方は踊りたいとエントリーをされるけれども、
踊り子が集まらないということでキャンセルとなるチームもあるそうです。
そこで、「いこか祭彩」(いろんな所に踊りに行くのを目的に作ったよさこい愛好団体。絶賛踊り子募集中)
は、フル活動。祭三代IKU! や、國士舞双さん、帯筋さんの協力を得て、旅広場に鳴子の音を鳴らし続けようと
活動しています。

コロナ禍でもできることをと考えて、よさこい工房〜祭彩〜では、オンラインよさこいを企画してきました。
その企画の中に、「高知へ踊りに行こう!」ということで、祭三代・IKU!2021の「よさこい讃歌」をオンラインで
指導(毎週1回で7回)して、高知の祭三代・IKU!に合流して踊ろうという企画です。

定員20名があっという間に埋まりスタートしましたが、高知まで踊りにこれたのは6名です。
(まだまだコロナの壁は厚い)

その6名が先日、一緒に旅広場の演舞を楽しんでくれました。
会場には、うちわおじさん達も駆けつけてくれて、うちわを一生懸命振ってくれました。
前日の顔あわせ練習と、2回の演舞です。
たった2回のために遠方から駆けつけてくれたみなさんに、本当に感謝です。

回数も時間も少しでしたが、みんな「高知よさこい」を満喫してくれました。
オンラインで一緒に楽しんだメンバーとリアルに会えて感動。
一緒に踊った感動。青い空と澄んだ風の中、鳴子うちわが盛り上げてくる中、思いっきり踊ってくれました。
美味しい土佐料理を囲んでよさこい談義。
何より人に出会えたことが一番の感動だと話してくれました。

「高知よさこい」は街を上げて、よさこい人を盛り上げて、見る人も楽しんでくれます。
県境も国境も全てを超えて、そこに共にいる瞬間を楽しむ。
その感動とよろこびは素晴らしいものです。

「本当にきてよかった。元気をもらいました。」そう言ってくれると私たちもまた、心から嬉しくなります。
誰かに喜んでもらえることは、最高の幸せですね。

よさこいを愛する県外の人々に、高知の良さを教えてもらっています。
よさこいのある時代に高知に生まれて心底よかったと思います。

今年こそ、この高知よさこいが実現できますように、心から祈るばかりです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️田村千賀







4月21日(木)「テレビ」

4月21日(木)

おはようございます。今日は「テレビ」について書きます。

私が初めて見たテレビは、四角い長方形型の箱型で、足がついてて、箱の上にはアンテナがありました。
チャンネルは、丸型で、右へ左へとガチャガチャ回して番組を見ていました。
確か、カラーだったように思います。

そして、テレビはものすごく進化しました。
チャンネルが消えてリモコンになりました。
わざわざ、テレビまで行かなくても、座ったたままチャンネルを変えられる。
動き自体は少しのことですが、ものすごく便利で、なんかいい気持ちでした。

フォルムもどんどん薄くなっていきましたね。壁にもかけられるし、大型化も進み、
見ている人の顔より画面の中の顔の方が大きくて、もう「映画」状態ですよね。
画面もとても綺麗になって、自分の目で見るより綺麗に見えます。

2020年の秋、突然我が家のテレビが壊れました。
電源を入れても全くつきません。
直そうかとも思いましたが、この際、テレビのない生活ってどんなもの?と
思った私は、テレビに布を被せて、テレビをつけない生活に入りました。

そうなると情報源は、スマホ。ネットニュースにYOUTUBE。
初めて開けたYOUTUBEにはびっくりでした。
いろんな人がいろんなことを言ってます。
際限なく広がる情報の海に、押し流されるような気分になりました。

もっとびっくりなのは、新聞や、テレビで話される内容とYOUTUBEの内容は随分違います。
(特に、その頃はアメリカ大統領の選挙の報道が盛んに流されていました)
これは、どう受け止めれば良いのか、何が真実で、何が嘘か、全くわからないなと。

テレビや新聞は、報道する内容の裏付けをとった上で流しているのだから、信憑性があるのか。
しかし、プロパガンダとかも流されるわけだから、もう、全くどれを信じていいかわからない。

そう考えると、結局は自分の五感をフルに使って感じたことが、真実ということになるのでしょうか???

情報化社会の発達のおかげで、今や嘘がつけない世の中になってきましたね。
「嘘も方便」とか「いるす」とか、もうバレバレですよね。
プロパガンダでさえ、いろんな技術で宇宙から丸見えの世の中です。

テレビが情報源だった時代から、テレビも情報源の一つとなってきた今
またテレビの役割も少しずつ変わっていくのでしょうか。

去年母が他界し、母の使っていたテレビが我が家にきました。
母を思いながら、またテレビをつけてみました。
今はテレビと、新聞とSNS,、いろんな情報源を楽しんでいます。

それぞれの役割があってそれぞれのよきところを選んで使っています。
どれが真実かはやっぱりわかりませんが、
社会はこう考えているんだと理解するようになりました。

ふ〜〜、時代についていくのに必死です(苦笑)

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️千賀








4月20日(水)「回り道」

4月20日(水)
おはようございます。今日も読んでくださり、ありがとうございます。
今日は「回り道」について書きます。

私の大好きな言葉に「回り道 振り返れば一本道」という言葉があります。
私が回り道をしたのは、大学を卒業した22歳からの2年半くらいです。

===(ここからは以前のブログで触れた内容です、読んだ方は下へワープしてくださいね)===
小6の時宝塚のベルサイユのばらを見てからミュージカルが大好きになり、
それ以来ずっとミュージカル女優になることを夢見ていました。
大学進学を控えた高3の時、「私は大学には行かない。東京へ行って劇団に入る」と両親に言いました。
すると父は「海のものとも 山のものともわからんお前が行っても、通用する世界じゃない。
何を夢みたいなことをいいよら。現実をみなさい」と大反対。

私は「なんで私の夢を邪魔するが。もうえい、私は一人で行く」とプチ家出。
そのまま真っ直ぐいの駅へ行って、切符を買おうとしたら財布がない(汗)
あんまり頭にきて家を飛び出したので、何も持ってない。
しかし、このまま家に帰るのも罰が悪い。
どうしたものかと駅のベンチに座り、小鼻からふんふんと怒りの煙を吐き出しながら、
父親に理解されない悔しさを噛み締めてどうするか作戦を練っていました。

するとそこへ母がやってきて(私の行動はお見通しです)
「そんなに行きたいなら、まずは東京へ行きなさい。その代わり大学に入るのが条件ぞね。
大学におるうちに、その世界が自分が通用するかどうかじっくり見てきなさい。
卒業しても気持ちが変わらんやったら私がお父さんを説得するから」と言いました。

親不孝者のお転婆娘は、「やった〜。お金出してくれるがや。よかった。大学はすぐやめて劇団受けたらえいわ。
とにかく。東京へ行ったらなんとかなる」と心で思い、「わかった」と母に即返事。

父への怒りの汽笛を鳴らすはずの鼻息もどっかへ消えて、さっさと家に帰り、受ける大学探しを始めたのです。
(切り返しは本当に早い。(苦笑)

そして入学したのが、玉川大学文学部芸術学科児童専修課程(この学科今はもうありません)
ここがものすごく面白かったのです。頭に「子どもための」という冠は付きますが、
身体表現、歌唱表現、音楽表現、絵画表現、児童劇演習、舞踊、声楽、ピアノ、作曲、などなど
大好きなことばかり。おまけにミュージカル女優がダメなら幼稚園の先生になりたいと思っていたのですから
この大学は、私にとってドンピシャパラダイスだったのです。

大学3年生の時、参加劇(見ている子どもたちが一緒にお芝居に参加して演劇を楽しむというスタイル)
をある所に上演に行きました。その時、私にとって衝撃的なことが起こったのです。

お母さんの後ろに隠れて恐々と入ってきた男の子が、私たちの参加劇が終わったら
「ママ、僕、泥棒やっつけたよ。強いよ」と言いながら
意気揚々と肩で風を切って帰って行ったのです。

「へ〜、演劇には子どもを成長させる力があるんや」それまで、大劇場でたくさんのお客様に感動を与えるという
観念しかなかった私は、目からウロコでした。
それから、ミュージカル女優より、演劇教育に興味が沸いたのです。

=====(ここへワープ)======

大学を卒業した私は、卒業後は自分のお金で生きるという気持ちが強かったので、
お金を貯めて、もう一度東京に行こう。まずは高知に戻って働こうと帰高を決めました。
そして、就職したのは、「山一證券高知支店」です。

ミュージカルの夢を追っていた私にとっては、人生初めての「回り道」というわけです。
山一證券時代も、かなり楽しかった。
予定通り、お金も貯まるし、貯まったお金を株でふやして、目標額は意外とすぐに達成できました。
そして、その資金で35歳の時、リトルスタジオを作ることになるのです。
スタジオを作ったときが、「回り道 振り向けば一本道」になった瞬間でした

山一時代はたくさんの事を学びました。
お金が世の中をどうまわっているのか。
誰が得して誰が損しているのか、
お金が儲かる人、儲からない人、
資本主義経済の可能性と危うさ、
社会と人とお金の不思議なバランス
そして、やっぱり「人」が大切であること。
あるお客さまの言葉です。
「田村さん、人がお金を作って、人がお金を動かしゆうでしょ。
 人を大切にせんで、どうする?全ては「人」ぞね」
この言葉は今も、私の大切な言葉の一つです。

この「回り道」のおかげで、今があります。
24の時は「回り道」と思った。
29の時リトルに出会って点と点が線になり、
35の時スタジオ作ったら線と線が面になった。
そのスタジオでたくさんの人と出会い生きていくうち、
面が重なり、立体となり、60手前の私は、3次元宇宙を生きています。

「回り道」も悪くない。いえ悪くないどころかとても大切。
あの回り道のおかげで、どれだけ自分が何をやりたいのかわかった。
自分は何を大切に生きたいのかを理解した。
人生の一番の軸がわかったと思います。

「回り道」も必然。
人生に無駄はひとつもないんですね。

「回り道 ふりむけば 一本道」
今日はちょっと回り道して仕事に行こうかな。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

合掌✴️田村千賀